さてさて、アブソルトは11年目を迎え、今年のイベントはプレイパーティーをまたやることにしました。
去年と同じじゃないか!!なんて聞こえてきそうですが、発想を怠ったわけでなく、
ただ単純にこないだ久しぶりに国内でプレイをして楽しくて、プレイ熱が再び起きてしまったのと、
11年目ということで1年生に戻った気分で気を引き締めたかったの。
もちろん、研修という形やDVDの監修といった形、ショーなどで国内でもSMとは密接につながっている生活。
不満足ではないけど、馴染みとプレイをしたときに私は原点を感じてしまったんだよね。
日本人とプレイするなんてどれくらいぶりだったんだろ・・・
尿道ブジーが苦手というM男に目隠しをする。
何をしてやろうか迷ったんだけど、私は無性にトライしたくなってしまった・・・
脳内麻薬の放出・・・・
サックに仕掛けを作りゆっくりとブジーをソコに添え、落としていく。
五感の一部が欠けた時、他の五感が開く感覚。
不安からくる想像。耐えられない不安がアドレナリンを刺激する。
「キミハ イマ ナニヲ カンガエ ドコデ カンジテイル?」
「怖い」と私の脚を握るM男。もう少し。脳で感じて。君の脳は今どこがしびれてるの?
ずっと私に時間が空くのを待って待ってやっと訪れた時間。
次はいつかなんてわからない。だからこの一瞬に集中してご覧。
私を信用して。信用したら何があるかって?
それは保証されていない達成感と高揚感。
人生と同じ。
先が見えない人生を大丈夫だと言って前を進む、そこが茨でもそれは嘘の世界だと自分自身の仮想楽園を信じて進む。
それが見えるまで。
私はSMはその縮小ゲームだと思ってる。
60分たったら、90分たったら、120分たったら、、、自分の決めた時間でゲームは終わる。
私たちはその終わりに仮想楽園を魅せてあげる道先案内人。
もう大丈夫だよって笑顔で。
目隠しをはぎ取られ、現実を見たM男は細工されたサックを見てこういった。
「えっ!!本当に入ってると思ってました」
そう、私は両切りサックを作り、その皮とサックの間にブジーを挿入していたのだ。
私は高笑いしながら言った。
「だって、オマエが尿道プレイできないってちゃんとわかってるもん。やらないよ。」
M男は嬉しそうに笑う。
それは無事生還出来た安堵感と、嫌いなプレイを無理やりやらされなかった安心感、
そして、やっぱり自分の信用していたミストレスは間違いなかったという自己満足感の笑みに間違いないが、
何より「自分の嫌いなプレイを“ちゃんと憶えてくれていた”」という自己重要度感が満たされたからだろう。
相手の記憶に残る・・・
裏を返せば 「忘れられたくない」願望の表れ。
愛の裏は憎ではなく無
記憶にすら残らないほど残酷なものはない。
SMとは究極の愛の形。
貴方を弄って弄って自分の手で壊していきたい
そして貴方の脳内を支配し、私の記憶でいっぱいにさせたい。
そう初恋の相手に言われたのは何年前の事だったか・・・
その言葉が脳内に残ってる内は、君たちへの愛情の返し方は「記憶」
さぁ、10年めぐってまた1年生。
愛を手繰って、記憶で紡いで私はこの世界で輪廻転生を繰り返す。
私の仮想楽園は、いつ姿を現すのだろう